報道番組の見方
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最近、テレビのニュースを見ていると、
被害者が、ボイスレコーダーで録音して、
それを証拠に訴えるシーンをよく見かけます。
もちろん、どのニュースも被害者がより良い環境で過ごせるようになれば良いなと願うばかりなんですが、
ニュースの内容は置いといて、あまり良い流れではないなと思う部分があるわけです。
被害者の顔
それは、「被害者面した者勝ち」の風潮です。
もちろんメディアは面白がって、いかに被害者が「可哀想か」を報道しますが、
メディアで流される報道はどこか「盛られる」可能性があると思います。
そして、それが、果たして事の全てを報道されているのでしょうか。
実際はそうではないと思うのです。
そこに加害者側の意見や背景などが取り上げられていないニュースも多々存在します。
私が思うのは、「全体が見えていない状況で、ニュースを鵜呑みにして、過剰に被害者に同情する」傾向はない方が良いと思うのです。
結局、もし、加害者側にも正当な理由があった場合に、
過度に悪いイメージをつけられたり、批難され過ぎてしまうと、
ショックも大きいでしょうし、社会復帰も難しくなると思うのです。
これは、加害者を擁護しているのではなく、
全体が見えていない状況で、発言してしまうのは、
余計に真実が見えなくなる可能性があるという事です。
そして、コメントする人もどこか、被害者を必ず同情しないといけないような空気で、
発言する。
これでは、もし、「加害者にも事情があるかも知れないので、なんとも言えない」のようなことを言うようもんなら叩かれる。
みたいな流れができてしまうと思うのです。
誰しもが見えない批難に恐れながら生きていくことになるのです。
そして、ニュースでなくとも、
「自分が被害者だ」と主張する人はいます。
しかし、この主張は「怒り」です。
怒りを違う形にして表現しているだけなのです。
「どうして分かってくれないの」であったり、
「私はこんなにひどい目にあったのに」とかいう主張は、
結局、相手に対して、敵対視し、反撃した形なので、
解決は難しいでしょう。
大事なのは、「前向きな会話」だと思います。
「私はこうしていきたい」
「私はこういう関係にしていきたい」と、
前向きな自分の考えを主張していく。
そうすることで、事態は好転していくのではないでしょうか。
恐れを無くす
とは言いつつも、
何かに自分を保守する目的で、
レコードしていくのは良いことだと思います。
証拠になりますしね。
まぁ、理想としては、
そういうレコーダーに頼ることがないような、
一人一人が「恐れからくる怒り」を無くせば、
もっと円滑な社会になるなと思っています。
甘い考えだと言われるかも知れませんが、
意外にこういうシンプルなところに解決する糸口があると信じています。
では今回はこの辺で。
ありがとうございました。