ジブンのアリカタ

自己啓発ブログ。

【今の自分より強くなるために】

スポンサーリンク

f:id:shizennichi-zero:20190602082041p:plain

もっと強くなる。

 

挑戦する

環境の変化

普段生活していて思うのは、

人って、環境の変化に対して、

結構おっくうと言うか、

現状に落ち着きたいという気持ちが強いなと思うのです。

まあそりゃそうだと思うし、

慣れ親しんだ場所や、人って、

落ち着くし、

なかなかそこから抜けようとは考えにくいですよね。

環境の変化には、メンタル的にも負担になるし、

不慣れなことも経験することになるので、

感情的に言えば、

あまりポジティブなものとして捉えにくいと思います。

しかし、長い目で見たときに、

環境の変化ってすごい大切なことだなと思うのです。

やっぱりいつも慣れた場所にいると、

人って、少しの変化はできるかもしれないけど、

大きくは変われない。

というか、変わりにくい。

でも、環境が変わってしまえば、

そこに自分の新しい道ができて、

今まで使ったことのないような思考回路ができたりして、

人としては、すごいポジティブな進化が見込めると思うのです。

そりゃ、言葉で言うほど簡単なことではないと思います。

例えば、明日から海外に住むことになったとして、

言葉も通じない。

文化も違う。

となると、

精神はブレるでしょうし、

気疲れは半端ないと思います。

でもその時の大きな刺激が、

長い目で見たときに、

自分の成長の大きな種になっているのだと思います。

したくない挑戦をわざわざすることもないとは思いますが、

例えば、

自分の目指しているものがあって、

その先に環境の変化を求められる時が来たとします。

それは、結構なチャンスであって、

失うものなんて全くないと思うのです。

その変化で、体験する、

辛いこと、しんどいことが、

絶対自分の強みになると思うのです。

そう言う意味では自分の『できない』にどんどん挑戦していって、

新しい刺激を取り入れていくことはポジティブでしかないなと思うのです。

これがまず自分にできること。

 

地道に続ける

あと、人が苦手だなと思うのが、

『続ける』ということ。

生活のために絶対しなければならない、

食べる。とか、

働くとかは別にして、

なにか、自分の目指しているもののためにするもの。

学生さんだったら、受験勉強かもしれないし、

スポーツ選手なら日々のトレーニングとか。

これが難しいんですよね。

何故、難しいのかというと、

『すぐに目に見えた変化がないから。』

だと私は思っています。

例えば、ダイエットを試みている人がいて、

「明日から走ろう!」と決めたとします。

で走った翌日から、体重がしっかり1kgずつ減っていったとしたら、

誰もやめないと思うのです。

やめるのは、「意味がない」と思ってしまうからだと思います。

 

些細な一歩も、進歩

しかし、真実は違くて、

実は、行動が実らないことはないと断言できます。

見ているところが遠い場所を見ている時って、

なかなか景色って変わらないんですよね。

見晴らしの良い場所に行けば、わかりますよね。

皆さんも体験したことあると思います。

歩いているのに、全くさっき見た景色と変わらないのです。

「あの山ずっとあそこにあるな」みたいな。

しかし、

足下を見れば、確実に前進していることを気付かされます。

一歩前に進めば、確実に一歩分、

景色が変わっているのです。

この一歩を意味がないと思って、

歩むことをやめてしまっては、

それこそ景色が変わることはないし、

目的地に辿り着くこともなくなってしまいます。

イチローさんがよく、

「偉大な記録を出すには、小さなことを積み重ねることが唯一の道」だと話しています。

人の心理的にできれば、一気に行きたいと思うでしょうし、

それができないならやめようと考えがちです。

しかし、どんなことも、積み重ねることでしか、

到達することはできないんですね。

 

知覚動考(ちかくどうこう)

私が以前働いていた会社で、紹介された言葉なんですが、

「知覚動考」という言葉があります。

要は、知って、覚えて、動いて、考えろという意味なんですが、

この言葉って、違う読み方できるんですよね。

「ともかくうごこう」となります。

綺麗にまとまりすぎだなと思うのですが、

確かにと思ってしまいます。

クヨクヨして、不満を吐いて、

泣き言、弱音を吐いて、

歩むことをやめてしまっては、

事態が好転することはありません。

なぜなら、歩みを止めているからです。

やはりこの世界は行動の星なので、

動いた分しか実らないのですね。

そうしたら、しんどいだろうが、

不安だろうが、

怖いだろうが、

もう動くしかないんです。

とにかく動いてさえいれば、

景色は変わっていきます。

そこは、体と心を分離させて考えるしかないですね。

とは言え、当時、

この言葉を聞いた時は、

個人的にクヨクヨしている時でした。

その時は、不安で満たされていて、

行動どころじゃなかったのです。

つまり、

クヨクヨしている人には、

この言葉は響かないのです。

だってクヨクヨしているのですから。

今の自分が思うのは、

まずは自分の「思い」だなと思っています。

自分の思いが豊かで、平安な時は、

頭の中がすごくシンプルで、

勝手に次から次へと行動してしまうのです。

悩むから足下が止まってしまうのですね。

ともかくうごこうとは言いますが、

私は、「ともかく心を平安に」をお勧めします。

何よりも優先事項として、

心の平安に努める。

心が平安であれば、

人は歩むことができます。

心が不安で満たされていて、

前に進むことはできないんです。

動物なので、そんな風にできていないんです。

今悩みがあって、立ち止まっている人がいるとすれば、

動くことを考えるのではなく、

ひとまず一貫して、一日を通して、

「安心する」ことに集中するべきだと思います。

そうやって、1日、また1日と、

安心する時間を増やしていけば、

思考が変わってくるので、

気づけば、行動する自分になっているかと思います。

安心は環境にあらず。心にありですね。

共に幸せな生活を送っていきましょう。

ではこの辺で。

人気記事はこちらです↓

 

www.jibunnoarikata.com