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見物人はガヤを入れるな【心理カウンセラーのススメ】

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こんにちは。

心理カウンセラーのシンゴです。

今回の記事のタイトルは「見物人はガヤを入れるな」です。

どういうことかと言うと、

仕事や、学校、家族関係において、

ガヤが多発しているのです。

ガヤとは、第三者の人が、

当事者に口出しをすることです。

私はこの第三者を「見物人」と呼んでいます。

見物人は自分が当事者になろうとはせずに、

側から、その成り行きをただ観察しています。

側から見れば、自分の手を汚すことはないですし、

当事者より確かに状況は冷静に分析できているのかも知れません。

しかし、この見物人がそれをいいことに当事者を非難し、

見下し、支配しようとすることで、

事態は停滞、もしくは後退してしまうのです。

当の本人は良かれと思って、発言しているのでしょう。

もしくは、「こいつの為になっている」とか、

もっと言えば、「俺の発言で、こいつは成功した」とさえ思ってしまうのです。

しかし、もし失敗しようもんなら、

知らんぷり。

もしくは、声を荒げて、

「言うことを聞かないからだ!」とこうくるわけです。

今回はこの見物人に関して色々書いていこうと思います。

では、楽しんでご覧下さい。

 

仕事場でのガヤ人

仕事場にもガヤ人はいます。

特に、目上の人。

全員とは言いませんが、

力のない上司は決まって、このガヤ人に当てはまります。

決して、自分が率先して行動するわけではなく、

自分の目下の人間を前に押し出して、

そして、自分が舵をきろうとします。

まるで、部下を操り人形のように扱うのです。

こう言うタイプの人は決まって臆病です。

自分が当事者になることは恐れて、

部下を盾にして、自分の身を守ろうとします。

自分が恥ずかしい思いをしたくないからです。

しかし、自分が一歩引いて見ている分、

状況はよく見えます。

そして、自分が安全に出れる場面に出くわすと、

にょろっと出てきては、

部下の粗を否定しながら、

こうやるんだよとばかりに、

ドヤ顔でやって見せるのです。

しかし、その見物人が粗に気づいたタイミングでは、

同時に当事者も気付いているものです。

いざ自分が改善しようと思ったタイミングで、

この見物人が仕事を奪っていくのです。

この仕事を奪うこと自体が悪いわけではありません。

いや、悪いのですが、

単純に、このガヤが入ることによって余計に時間がかかってしまうのです。

部下からしたら、「わかってるよ」と思うだけです。

そんな人間に誰もついていかないのです。

しかも、実際、

自分が率先して仕事をすることになれば、

同じようなところで、ミスをしたりします。

それは仕方ありません。

人は未熟だからです。

完璧な人間などいないのです。

人の至らないところを探せば、誰であろうと批判できる部分は見えてきます。

この誰かをとりたてて、批判する習慣をなくさなければ、

スムーズに事が運ぶことは難しいでしょう。

ガヤを入れる人が、足を引っ張ってしまっているのです。

あなたの周りにガヤ人はいませんか?

家族間のガヤ

俗に言う、嫁姑問題もこのガヤの問題でしょう。

嫁がすることに対して姑がいちいち難癖を付けたり、

嫁がどう出るのかを審査したりしてしまうのです。

先ほどもお伝えしたように、

人の粗を探せば、誰だって見つかります。

それはきっと総理大臣だろうが、

国の王様だろうが見つかるものでしょう。

ガヤを入れてしまう人は、残念ながらものを俯瞰で見る能力に欠けています。

片方からの側面でしか判断できないのです。

その見方が怒りの原因になっています。

人の粗を見つけることでしか、

自尊心をキープできないのです。

これは嫁姑問題だけに限らず、

子育てにも当てはまります。

子供ができないことに対して、

声を荒げたり、批判してしまうのは、

親の子に対するしつけとして、一見仕方ないことのように思います。

しかし、それは、自分の価値観を押し付けていることにも繋がってしまいます。

もしかしたら、子供の方が純粋な見方ができているかも知れません。

大事なのは、こうだと決めつけるのではなく、

私はこう考えている。と、

自分の考えを、怒りとは無関係に伝えることだと思います。

子供を一人の人間として接するのです。

子供を所詮子供と思い接していくと、

いつまでも子供のままでいます。

子供も立派な人間だという観点から、

対等に接していくことによって、

子供も自然と自立に向かっていくのではないでしょうか。

決して頭ごなしに否定してしまわないことです。

 

最後に

結論、ガヤからは何もポジティブなものは生まれないのです。

ガヤを入れるのは、粗を探しては、相手を引きずり下ろすことしか頭にない、

国会議員のようなものです。

あのやり取りから何が生まれるのでしょうか?

更なる批判やガヤが生まれているだけです。

現に、政権交代しても立場が変わるだけで、

同じようにまた怒号が飛び交っているではありませんか。

では、見物人ができることは何なのか。

それは、「自分がやればいい」のです。

もし至らないなと感じるところがあるのであれば、

批判するのではなく、黙って補ってあげればいいですし、

自分がそれを教訓にして変われば良いのです。

偉大なリーダーほど、背中で示します。

口で言うのではなく、

自分が率先して、行動で示せば良いのです。

自分がやらないのであれば、

見物人ができることは、フォローと、応援くらいなものです。

そうすることで、当事者のやる気を増やし、

大いに貢献することになります。

周りに批判ばかりする、コメンテーターは必要ないのです。

自分がプレイヤーになって、それぞれが世に貢献していく。

それが理想の姿だと思います。

そんな理想の世界になりつつあると、私は信じています。

では今回はこの辺で失礼します。

最後までご覧いただき有難うございました。