ジブンのアリカタ

自己啓発ブログ。

みんな「わかって」ほしい。

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人は、自分をわかって欲しいのです。

自己主張

人生を歩んでいく上で、

自分の考えを相手に伝えることは、

必要な力だと思います。

しかし、

自分の考えを相手に伝えることと、

我を通すことは似て非なるもの。

自分の主張ばかりをして、

それをつき通そうとすることは、

対人関係で摩擦を生みます。

そこに、相手の考えを聞き入れるスペースがあり、

吟味する心がないと、

会話の意味すら存在しません。

聞く耳持たない姿勢では、

一時的にはうまく運んだとしても、

どこかのタイミングでまた摩擦が生じてしまうのです。

しかし、

大抵の人は、

自分の考えを知ってほしいと思っており、

「わかってほしい」と願っているのです。

自分の持っている考えが、

「正解」だと信じているのです。

 

議論を避ける

自己主張しか頭にない

その人が持っている正解が、

誰かの不正解ということもあります。

その違う考えを、

「こういう考えもあるか」と、

受け入れることができ、

互いに尊重し合えれば問題はないのですが、

もし、その考えを否定しようものなら、

その相手からも逆に否定されることになります。

いかに自分が正しいかをただ、

主張し合うだけの無駄な時間となってしまうのです。

先程も記したように、

考えを示すことは大切ですが、

どちらが正しいかを議論する時間は、

できるだけ避けるべきなのです。

自分の思いを気が済むまで、

吐き出すことが目的となり、

吐き出した後は、

相手が聞き入れたかどうかはどうでもよく、

ただの自己満足に終わってしまうのです。

結局、言い合いをしたところで、

同じことは繰り返されるわけです。

互いの正解が変わったわけではないので、

ただ、ストレスを吐き出し、

ストレスを受け取る時間に終わってしまうのです。

考えを示したら終わりにする

そのような無駄な時間を費やすよりも、

ただ、シンプルに自分がどう考えているのかを、

相手に伝える。

その後は、ただ、聞き手に回るのが賢い選択です。

相手の感情を満たすことができれば、

相手は、真に満足感を感じることができ、

「分かり合えた」と、

自分を高く買ってくれるようになります。

そうすることで、

相手からの譲歩も生まれ、

「君の言うこともわかるな」と、

あれだけ入らなかった考えが、

いとも簡単に入ることなるのです。

自分が譲歩したことにより、

相手の譲歩を導き出しているのです。

大抵の人は、

自分から差し出すことは苦手ですが、

相手から貰ったもに対しては、

お返しをしたくなるのです。

全員がそういう人ではありません。

むしろ、

「得るだけ」の人が多いでしょう。

しかし、

自分にお返しをしてくれる人を増やすには、

まず、自分が差し出さなければ、

ただ待つだけの人生に終わり、

何も得られない人生になってしまいます。

自分を示したら、その先は、

「相手にとって、都合の良い人間になれば得をする」

これが世の流れかも知れません。

 

賢い人は、相手の欲を満たす

それを知ってか知らずか、

賢い人は、相手の欲求を満たすことが得意です。

ビジネスで成功する人は、

お客様を喜ばせることができた人だし、

異性にモテる人は、

異性を喜ばせた人なのです。

決して、そこに見た目や中身などの、

特別な条件はなく、

ただ、「欲しい時にメールがきた」とか、

「寂しい時に誘ってくれた」とか、

相手が望んだものを叶える人が評価を得ていくのです。

そういう意味では、相手に立場に立って、

相手が何を望むのかを常に考えれる人は最強なのです。

考えてみて下さい。

大抵の人が自分をわかってほしいと思ってるわけだから、

こちらから、

わかってあげたら、評価されるのです。

よく悩み相談する人が、

批判したり、アドバイスされたりして欲しいのではなく、

ただ、聞いてほしいのはその為です。

ただ、喜ばせてほしいのです。

変わるように指摘するのではなく、

「そのままでいいんだよ」とか、

「なるほどね〜。」て聞くだけで、

受け止めてくれたとなるのです。

真実など、どうだっていいのです。

評価を得る人は、

相手の欲しいものを与えられる人なのです。

 

批評は傍観者

批評できるほど偉い人はいない

そういう意味では、

よくテレビなどで、批評家みたいな人がいますが、

一番簡単立場だと言えます。

誰かのしたことに対して批評することは、

何の努力もないし、

自分が土俵に上がっているわけではないのです。

映画の批評をする人は、

決して批判をしている監督を超えるような、

名作を作ることはできないし、

スポーツ観戦して、

「しっかりやれ!」と怒鳴る人は、

その選手よりしっかりしているとは限らないのです。

傍観者でいることは、

ただ、自分の答えを言っているだけの時間なので、

一番楽であり、何も生み出さない時間なのです。

大切なのは、

傍観者でいることではなく、

自分が人生のプレーヤーでいること。

見る側ではなく、見られる側に立ってこそ、

初めて真価が問われていくのです。

 

賢人は生き様を背中で示す

イチローは「こうしなさい」と言わない

本当の意味で、

自分の人生を生きている人は、

他人を批判することに時間を使いません。

自分の生き様を背中で示すのです。

元メジャーリーガーのイチロー選手は、

メジャーリーグ史上、

一番打つ選手でありながら、

誰一人として批判することはありませんでした。

語る時はいつも、自分の打ち方についてです。

あれだけの功績を残した人が、

誰に対しても「違う」と話さないのは、

きっと批判することの無意味さをわかってのことだと推測できます。

その他にもジャンルを問わず、

スター選手は数多く存在しますが、

たとえ、自分より明らかに格下の選手にも、

讃め称えることが、習慣になっているのです。

自分の言葉がそのまま自分に返ってくることがわかっているので、

へたに人をけなりしたり、

批判することは避けるのです。

私たちは容易に、

わがままを通しがちですが、

避けて通れるところは、避ける。

譲ることで相手が気が済むなら譲る。

それが結果的に自分にご褒美として返ってくる。

それがこの人生の掟だと、

私は信じています。

人の機嫌を伺うことはしなくていいと思いますが、

自分の機嫌くらいは、自分でとりたいところです。

では、この辺で。

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